山谷拓志(やまやたかし)さんは、経営破綻したバスケットボールチーム・静岡ブルーレヴズを6000万円の借金をして立て直した人物として話題になりました。
山谷拓志さんはバスケットボールチーム「栃木ブレックス」や「茨城ロボッツ」の代表も務めました。どういった経歴をお持ちの方なのか、みなさん気になりますよね!
そこで今回は≪バスケチーム立て直し【山谷拓志】の学歴や経歴!結婚した妻やプロフィールも!(スポーツ経営請負人)≫と題して、山谷拓志さんについてご紹介していきます。
バスケチーム立て直し【山谷拓志】の学歴や経歴!
山谷拓志さんの学歴や経歴についてご紹介していきます。
山谷拓志の学歴
山谷拓志さんの出身高校は慶応義塾高校、出身大学は慶応義塾大学の経済学部です。
山谷拓志さんが慶応高校に進学したきっかけは、中学生の時に慶應義塾大学ラグビー部とトヨタ自動車の試合を見たことだそうで、その時に慶応でラグビーをしたいと思ったのだそうです。
ですが、いざ慶応義塾高校に入学すると、ラグビー部には小さい頃からラグビーを経験してきた生徒ばかりで歯が立たず断念します。その後、アメリカンフットボール部から「アメフト部がある高校は少ないから頑張れば日本一になれる」と誘われ入部しました。
そして慶應義塾大学に進学してもアメリカンフットボールを続け、大学4年生の時にはついに学生日本代表に選出されました。
山谷拓志の経歴
山谷拓志さんは、大学卒業後に株式会社リクルートに入社します。営業職、企画職、組織人事などを歴任しています。
アメリカンフットボールは大学以降は辞めるつもりだったそうですが、リクルートのアメフトチーム「シーガルズ」が一部に昇格したという事でアメフトの現役を続行。1996年、1998年と2度ライスボール優勝を果たしています。
その後2000年にリクルートを退社すると同時にアメフトを引退し、「シーガルズ」のアシスタントマネージャーに就任しました。2002年にクラブチーム化された「シーガルズ」ではオフェンスアシスタントコーチを務め、東京スーパーボール優勝に貢献しました。
その後は、経営コンサルティング会社に就職、たくさんの企業で講師を務めます。そして、バスケチーム・栃木ブレックスでは田臥勇太選手を獲得、チームの強さを補強、2年目に見事優勝。チームを3年連続黒字化にしました。
それ以降も、日本バスケットボール協会の専務理事を経て、2014年には経営難のバスケチーム・筑波ロボッツの社長に就任、6000万円の借金を背負いながらチームを立て直しました。
2021年からはラグビーのヤマハ発動機ジュビロをクラブ化した「静岡ブルーレヴズ」の社長を務めています。
結婚した妻やプロフィールも!
山谷拓志さんは結婚されていて、東京都出身の奥さんがいらっしゃるようです。栃木ブレックスの社長に就任する前は奥さんと東京に住んでいたそうですよ。名前などは非公開となっています。
山谷拓志さんのプロフィールをまとめます。
名前:山谷拓志(やまや たかし) 出身:東京都昭島市 生年月日:1970年6月24日生まれ 高校:慶應義塾高等学校卒業 最終学歴:慶應義塾大学経済学部卒業 静岡ブルーレヴズ株式会社・代表取締役社長
まとめ
今回は≪バスケチーム立て直し【山谷拓志】の学歴や経歴!結婚した妻やプロフィールも!(スポーツ経営請負人)≫と題して、山谷拓志さんについてご紹介してきました。
山谷拓志さんは慶應高校を卒業、慶応大学に進学、卒業後は株式会社リクルートに就職しました。リクルートでは営業職・企画・人事コンサルなどを務めながら、アメフト部「シーガルズ」に所属、二度優勝しています。その後企業のコンサル会社で講師を務め、栃木ブレックスの強化、筑波ロボッツでは6000万の借金をしながらチームを立て直しました。現在は静岡ブルーレヴズの社長を務めています。結婚はされているようで奥さんがいらっしゃいます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
コメント